筆者は身長が187 cmあり、日本人の平均よりもやや大きめの体をしています。
そのため、初対面の方にはよく、「何かスポーツやっていたの?」などと聞かれることも多くなります。
しかし、筆者は人並み外れて運動神経が悪く、スポーツはいつまでもやっても上達しないという体質の持ち主でした。
例を挙げれば、高身長が有利なスポーツの代表選手としてバスケットボールがあります。
高身長なので、たいていは誰よりもゴールは近くにあるのは間違いありません。
しかしながら、運動神経の悪い私は、いくらシュートを打っても決定率は極端に低いので、常に失望されることになります。
そうなってしまうと、高身長はスポーツができて当たり前という勝手なイメージを持たれているので、『期待はずれな人』として、周囲から距離を置かれるようなことが多くなってしまうのです。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
体を自分の思い通りに動かすためには、脳の機能が高いことが必要です。
筆者は親が離婚、再婚をするたびに転校を余儀なくされ、再婚相手が公務員だったこともあってその転勤によっても転校を繰り返しました。
その結果、周囲との人間関係も次第に希薄になり、独りでいることが多かったので、根が真面目だった筆者は、最も関係が深い人間となってしまった母の求めに応えるために勉強に打ち込みました。
しかし、現実は残酷なもので、才能がない人間はいくら時間をかけても芽が出ることはありません。
ずっと机にへばりついていて刺激が十分に供給されなかった筆者の脳は、次第に萎縮していきました。
さらに運の悪いことには、体のほうはぐんぐん成長してしまったのです。これが筆者の運の尽きでした。
悲劇は小学生のころからはじまりました。
サッカーやバスケをすると、いつもファールを取られてしまうのです。
自分としては、みんなと同じようにプレーしているつもりです。
見かねた人に、「お前はやりすぎだ」と言われたこともあります。
スポーツにおいて、「やりすぎ」などということがあるでしょうか。
筆者は次第に、スポーツに真剣に取り組めなくなっていきました。
中学に入ると、接触の危険のないソフトテニスを部活に選びました。
テニスは室外競技なので、コートに虫が飛んでくることもたまにあります。
あるとき、前衛の練習で順番にボレーを打っていた時でした。順番待ちをしていた筆者に大きなトンボであるオニヤンマが近づいてきました。視野が狭い筆者は、とっさにラケットで思いっきりオニヤンマを打ちました。するとオニヤンマの体はバラバラになって飛び散りました。近くにいた人たちが悲鳴を上げ、筆者は白い目で見られることになりました。
余談ですが、筆者は声も大きいので、大会で応援の声がうるさいというので選手にイエローカードが出されそうになったことがあります。
高校にはいると、クラス対抗の球技大会というものがありました。
筆者はソフトボールに参加し、テニスをやっていたということもあって打率は好調でした。しかし、テニス(この時は硬式をやっていた)は回転をかけてボールをコートに落とす競技なので、野球で必要なできるだけ遠くに飛ばすのはあまり得意ではありません。そこで、バットに手ごたえを感じたら、一塁まで必死に走ることが必要でした。
しかし一塁についてみると、バッターボックスが何やら騒がしい様子です。
ここでも私は加害者になっていたのでした。
それというのも、ヒットを打った私は走り出すことに夢中で、ほおり投げたバットがキャッチャーの足をしたたかに打ち、怪我をさせていたのでした。
さらに悪いことに、対戦相手は下級生のクラスであったため同情を呼びました。一緒に行動していた友人は急に態度が冷たくなり、「お前は二度とバットを振るな」とまで言われて絶交されました。
余談ですが、バスケでは久しぶりに夢中になってプレーしてしまい、対戦相手を流血させてしまうという騒ぎが起きました。
日本では、加害者に対してはいくらでも攻撃してもいいという風潮があります。人間は社会的な動物ですから、社会から「お前はいなくなってほしい」というメッセージを受け取ると、「死ななければ」としか考えられなくなっていきます。特に筆者のような、ほかのコミュニティーに移る能力のない人間は、すぐに追い詰められてしまいます。
幼少期に委縮した脳は簡単には取り返しがつきません。私のような人間は少ないかもしれませんが、追い詰められている誰かの役に立てれば光栄です。