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”造られた感動”の「押し売り」近代”ヒトラー式五輪”の末路

僕は毎回、オリンピックの時期になるとうんざりします。好きな人も多いので、連日テレビで放送されるのは仕方ないとしても、オリンピックを見ない人を非国民のように言われるのは我慢がなりません。そこで、「歴史エヴァンジェリスト」として活躍する神野正史氏の以下の著作を引こうと思います。

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腐敗していったオリンピック

 世界恐慌の真っただ中の1931年、5年後の五輪の開催予定地がベルリンに決まったとき、ドイツ国民からは歓喜の声は上がらず、一般大衆からは「そんな金があるなら経済と福祉に回せ」」、資本家からは「この不雲気に協賛金など出せん!」、そしてヒトラーも「五輪などユダヤ人の陰謀にすぎぬ!」といった反応で、 たいへん冷ややかなものでした。
 しかし、政権を獲ったヒトラーは一転、開催に積極的になります。

 わずか600万マルクの予算しかなかった五輪委員会に6000万マルクの補助金を与えて世界初の10万人が収容できる巨大競技場を建設させ、世界中から集まった人々をアッと驚かせましたし、 国際際世論に配慮してユダヤ人弾圧の事実を隠姦し、五輪発祥の地-オリンピアからベルリンまで「聖火」をリレーするという演出や全世界にテレビ中継するといった世界初の試みを行いました。
 それもこれも、大会中に「ハーケンクロイツ」をここかしこに掲げ、これでもかとばかりにナチスの喧伝と国威発場を行うためです。
 そもそも近代五輪というのは19世紀末、フランスのクーベルタン男爵の提唱によって「平和の祭典」として再開されたものです。
 しかしこのベルリン大会以降、各国は一様に”ヒトラー式五輪”を模倣するようになり、 五輪は単なる国際による政治喧伝の場と化し、 各国の政治利害に振り回され、 欧米諸国ばかりが有利になる恋意的ルール改正が繰り返され、拝金主義·不正が蔓延するようになります。
 こうした事実から観衆の目を逸らすため、 運営はTVを使って必死に感動の「演出」「押し売り」を行うようになり、 大衆も初めはそうした”造られた感動”に無邪気に歓んだものでしたが、"化けの皮"はいつしか剥がれるものです。
 近年急速に五輪人気が衰えを見せているのもこのためです。
 こうした状況は「古代オリンピア」末期に似ており、近代五輪もこれとおなじ末路を辿ることになりそうです。