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警察官という職業とネットを徘徊する「正義依存症」のひとたち

筆者はこの記事を書いているときは就職活動をしているのですが、筆者の親は筆者が公務員になることを要求しています。そこで、公務員になるということがどういうことなのかを考えるきっかけになる本に出会ったので、この本について紹介していきたいと思います。

 

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p.12——————————————————————————————————

警察官

 警察官は警察庁採用者と各都道府県警察採用者の2つのルートがある。前者は国家公務員総合職や一般職試験の合格者から採用される。後者は各都道府県警察が実施する警察官採用試験合格者の中からの採用だ。

 いま地方採用の警察官への人気がこれまで以上に高まっている。神奈川県警勤務の巡査部長はいう。

「私が、警察官を目指したのは”コチカメ”です——」

 コチカメ——漫画、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』である。このコチカメの主人公、両津勘吉のような”交番のお巡りさん”に憧れて警察官を目指す人は昔も今もすくなくない。

「警察官は、『困っている住民を助ける』という素朴な目的のもとで仕事をしています。民間企業と違い、誰かの営利のために仕事をするわけではありません。正義を自らの手で具現化したい人には打ってつけです」(前出・同)

 

 ひとくちに警察と言ってもその仕事はさまざまだ。

 

「漫画やドラマでもその活躍が知られる刑事、鑑識、交通、機動隊……といった部門、それからサイバー部門に会計、活躍の場は限りないです」(警察庁準キャリア採用)

 

「正義を追求するのではなく、正義そのものでいられるのが警察官です」(会計畑の警察官)

 

 限りなく行政職に近い、会計畑の警察官ですらこう語る際の目つきは刑事や機動隊員同様に鋭かった。

 

 

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警察官になれれば、正義を標する事ができるようですが、けっして完璧な存在になれることのない生身の人間が、自ら正義を標することの恐ろしさは忘れてはいけないと思います。しかし、そもそも正義とはなんのためにあるのでしょうか。これを考えるヒントとして、橘玲氏の以下の書籍を引いてみたいと思います。

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p.102~104————————————————————————————————

ネットを徘徊する「正義依存症」のひとたち

 平和な日本を象徴するように、「不倫」騒動の話題が相変わらず賑やかです。

 単純な疑問として、女性タレントや女性政治家の不倫は「ぜったいに許されない」ことで、かつてはヒット曲を連発した男性ミュージシャンの不倫を報じるとバッシングされるのはなぜでしょう「くも膜下出血で倒れた妻の介護で苦労していた」というかもしれませんが、だとすれば、夫の介護を美談にしていた女性タレントが不倫しても同じように「かわいそう」と大合唱するのでしょうか。

 ここには明らかに男女の非対称性がありますが、「女性差別はけしからん」という話をしたいわけではありません。ワイドショーや女性週刊誌が有名人の不倫を大きく扱うのは、女性の視聴者・読者が求めているからでしょう。「女が(不倫をした)女をバッシングする」現象をフェミニズムは「女性差別が内面化されている」と解釈するかもしれませんが、これはもっとシンプルな説明が可能です。男であれ女であれ、ルールに反したものを罰することは快感なのです。

 脳科学の実験では、裏切り者や嘘つきへの処罰が脳の快楽中枢を刺激し、ドーパミンなどの神経伝達物質が放出されることがわかっています。ドーパミンは「快楽ホルモン」と呼ばれていましたが、いまではその機能は「もっと欲しくなる」焦燥感を煽ることだとされています。アルコール依存症のひとは、ひと口の酒で大量のドーパミンが放出され、意識を失うまで泥酔してしまします。ギャンブル依存症のひとは、「今日は1万円まで」と決めていてもやめられなくなり、消費者金融に多額の借金を作ってしまいます。「バッシング」でも同じことが起きているなら、これは「正義依存症」という病理です。

 正義になぜ”中毒性”があるかは、人類がその大半を生きてきた狩猟採集時代の濃密な共同体から説明できます。ひとはだれでもエゴイストで、放っておけば殺し合いになるほかありません。それでも共同生活を成り立たせようとすれば、ルールに従うことと、ルールに違反したものを罰することを(自然選択によって)脳に組み込んでおくのがもっとも効果的です。「現代の進化論」では、これが道徳の起源だとされています。

 不道徳な人間を罰すると、脳はドーパミンという報酬を与えます。ただし、相手を殴ったり直に文句を言ったりすれば逆恨みされるかもしれません。だとしたら、自分は安全な場所から噂によって相手の評判を落とし、共同体の中での序列を下げる(村八分にする)ことに習熟していくのは当然でしょう。匿名で不愉快な相手を叩くのは「道徳(正義)」の一部で、それがどれほどグロテスクでも、私たちの社会は市井の「道徳警察」によって支えられているのです。

 現代社会の大きな問題は、インターネットやSNSと言ったテクノロジーが匿名でのバッシングを極めて容易に、かつ効率的にしたことです。その結果、洋の東西を問わず、ネット上には”正義という快楽”を求めて徘徊するひとたちがあふれ、バッシングの対象は芸能人でも政治家でも週刊誌でも、理由さえつければ何でもかまわないのでしょう。

岡田斗司夫ゼミでも紹介されていました。

www.youtube.com47:50 芸能人の浮気を道徳的に攻め立てる快感について(橘玲Blog)

日本の法律は厳しくなってくいっぽうのようです。YouTubeなどで人気のひろゆき西村博之)氏の以下の著作を引きましょう。

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:title]p.167-169

「禁止」は一時的にせよ
 日本の場合、一度、法律で決まってしまえば、強い権限を持ちます。それは、時限法
じゃないからなんですよね。
 たとえば、アメリカでは、「とりあえず20年だけ制限します」というように、決められた期間内で法律を定めます。だから、20年後に、どれだけの効果があったのか見直して、まだ規制すべきだったらそのときは法律を続ける、という方法を取ります。
 しかも、アメリカではわりと、法案を崩すための法案が出ることがあります。「あの法律はよくないので、それを打ち消す法案を作りましょう」と言って、産業側のロビイストが動いて法律が作られる動きがあるわけです。


 日本はそれとは逆に、毎年毎年、新しい法律ができていく一方なので、単純に「できないこと」が増えていく社会なのです。

 基本的には官僚が法案を作り、たまに政治家発の法案も生まれますが、産業側が喜ぶ法案が作られることはほとんどありません。
 フランスはもっと制限が多い国なのですが、マクロン大統領は制限をゆるめるために頑張っているみたいですがね。むしろ政府側が頑張っているという、社会主義に近い形なのかもしれません。


「禁止」を禁止せよ
 最後に、セグウェイを例にとって国の考え方を比べてみましょう。
 今のところ、日本では「違法」です。アメリカでは「合法」です。フランスの場合、電動だろうとなんだろうと、「時速10キロ以下で動くのであればOK」という法律を作っています
 つまり、フランスは、制限速度以下であれば免許が不要という制限を作っているのですが、日本は、道路交通法があるから一切禁止という判断をしているわけです。
 法律がなくても、日本ではドローンが社会的な圧力で禁止になりましたよね。
 もともと、ドローンは日本のメーカーが似たようなものをラジコンで作っていました。世界的な市場が広がってきたときに、日本が乗っかれるチャンスがあったわけです。
 けれど、こうして禁止になってしまって、今や完全に乗り遅れてしまいました。

 これから先、どんどん技術は進歩していき、「よくわからないもの」は増えていきます。
 第1章で述べたように、「新しいこと」にワンチャンを狙う人が増えるためにも、それらを成長させて伸ばしていくことが大事だと僕は思うんですけどね。
「すぐに禁止」「とりあえず規制」というのではなく、ある程度の自由さは必要です。