これまで、Apixabanの結晶構造や分子間相互作用について、計算化学を使って少しずつ調べてきました。
今回からは視点を変えて、**「Apixabanは溶媒の中でどのように振る舞うのか?」**を調べていきます。
特に今回注目したのは、
-
水
-
メタノール(MeOH)
-
エタノール(EtOH)
-
アセトニトリル(MeCN)
-
DMSO
-
DMF
-
アセトン
-
クロロホルム
の8種類の溶媒です。
それぞれについて分子動力学(MD)計算を行い、その軌跡からスナップショットを取り出して、Apixabanと溶媒分子との相互作用エネルギーを計算しました。
さらに、MD最終構造についてESP(静電ポテンシャル)マップも作成しました。
今回は、この一連の計算結果をまとめてみます。
今回やりたかったこと
今回の研究の最終的な目的は、
「どのような溶媒でApixabanが溶けやすくなるのかを、理論計算から理解・予測する」
ことです。
ここで重要なのは、単純に
「Apixabanと溶媒の相互作用が強ければ、必ず溶解度が高い」
とは言えないことです。
Apixabanが固体として存在している場合、まず結晶中の分子間相互作用を壊して、結晶からApixabanを取り出す必要があります。
その一方で、溶液中に出たApixabanは、今度は溶媒によって安定化されます。
つまり、溶解という現象を考えるには、
結晶側の安定化
と
溶媒側の安定化
の両方を見る必要があります。
今回計算している溶媒との相互作用エネルギーは、そのうちの「溶媒側」を理解するための一つの指標になります。
1. まずはMD計算
今回のMD計算では、Apixaban 1分子と10分子の溶媒を配置し、298.15 Kで20 psのMD計算を行いました。
1 fsのタイムステップで計算し、100 fsごとに構造を保存しています。
そのため、
201フレーム
の構造が得られます。
イメージとしては、
t = 0 ps
↓
Apixaban + 溶媒分子
↓
MD
↓
溶媒分子が移動・再配向
↓
t = 20 ps
という流れです。
今回の計算では、溶媒分子がApixabanの周囲にどのように集まり、どのような配置を取るのかを見ることも重要な目的でした。
2. MDの様子をGIFにしてみた
せっかくMDを計算したので、数値だけではなく、実際の軌跡を動画として確認できるようにしました。
Jmolを使って各フレームを800×800 pxの画像として書き出し、それをPython + PillowでGIF動画にしています。
1フレーム = 0.1 psなので、201フレームで約20.1秒の動画になっています。
8種類の溶媒について動画を作成しました。
Water

Methanol

Ethanol

Acetonitrile

DMSO

DMF

Acetone

Chloroform

実際に動画にしてみると、単なる座標データだったものが「分子の動き」として見えるので、かなり面白いです。
特に溶媒によって、Apixabanの周囲に集まってくる分子数や配置の変化が違って見えます。
3. MDスナップショットから溶媒との相互作用エネルギーを計算
次に、MDの各フレームについて、
Apixaban + 溶媒10分子
の相互作用エネルギーを計算しました。
今回使用した定義は、
です。
ここで、
-
:Apixaban
-
:溶媒分子
-
です。
値が負になるほど、
そのMDスナップショットにおいてApixabanと溶媒10分子が相互作用によって安定化されている
と解釈できます。
ただし、ここは重要な注意点があります。
これは溶媒和自由エネルギー そのものではありません。
あくまで、MDで得られた固定構造に対する凍結スナップショットの相互作用エネルギーです。
4. MD最終構造のESPマップを見る
MDの動画を見た次に、
「では、Apixabanのどの部分に溶媒分子が近づいているのか?」
を見てみます。
そこで利用したのが、ESP(Electrostatic Potential:静電ポテンシャル)マップです。
ESPマップでは、分子表面における静電ポテンシャルの分布を見ることができます。
今回の解析では、各溶媒についてMD計算で得られた最終構造を取り出し、その構造についてESPマップを作成しました。
これによって、
Apixabanのどの部分が静電的に特徴的なのか
そして、
そこに溶媒分子がどのような向きで近づいているのか
を、構造と電子状態の両面から確認できます。
Water


MeOH


EtOH


MeCN


DMSO


DMF

Acetone


CHCl₃


8種類を並べてみると、同じApixabanでも、溶媒によって周囲の分子配置がかなり異なっていることが分かります。
ここで重要なのは、ESPマップを単独で見るのではなく、
MDで実際に形成された構造
と
その構造における静電ポテンシャル
をセットで見ることです。
5. そして相互作用を数値化する
ここまでは、
「分子がどう動いたか」
と
「どこが静電的に特徴的なのか」
を見てきました。
次は、それを数値として評価します。
MDの各フレームについて、
Apixaban + 溶媒10分子
の相互作用エネルギーを計算しました。
今回使用した定義は、
E(A+nS)-E(A)-E(nS)
]
です。
ここで、
- (A):Apixaban
- (S):溶媒分子
- (n=10)
です。
値が負になるほど、そのMDスナップショットにおいてApixabanと溶媒10分子の相互作用による安定化が大きい、と考えることができます。
ただし、ここで重要な注意点があります。
今回計算しているのは、
溶媒和自由エネルギー (\Delta G_{\mathrm{solv}}) そのものではありません。
あくまで、MDで得られた固定構造に対する凍結スナップショットの相互作用エネルギーです。
6. 計算結果
今回得られた全201フレームについて平均を取ると、次のようになりました。
| 溶媒 | 平均 ΔE<sub>A-S</sub> (kcal/mol) |
|---|---|
| Water | -9.82 |
| MeOH | -15.59 |
| MeCN | -11.70 |
| EtOH | -10.26 |
| DMSO | -32.10 |
| DMF | -12.25 |
| Acetone | -11.57 |
| CHCl₃ | -15.74 |
今回の結果で特に目立ったのがDMSOです。
DMSOでは、
[
\Delta E_{A-S}\approx-32.1\ {\rm kcal/mol}
]
となっており、今回調べた8種類の溶媒の中では非常に強いApixaban–溶媒相互作用が得られました。
7. 水との相互作用が弱い、という意味ではない
ここは今回の結果で特に注意したいところです。
水の平均値がDMSOより小さいからといって、
「Apixabanは水とあまり相互作用しない」
という意味ではありません。
水は非常に小さな分子であり、今回の計算は「10分子」という固定した分子数で比較しています。
そのため、分子サイズ、接触できる表面積、溶媒分子の数密度なども結果に影響します。
また、今回の値は、
Apixaban + 10溶媒分子
という有限系についての相互作用エネルギーです。
したがって、この数字をそのまま実験的な溶解度と対応させることはできません。
8. Apixaban周辺の溶媒分子数との関係
相互作用エネルギーだけでなく、Apixabanの周囲4 Å以内に存在する溶媒分子数も調べました。
これも興味深い結果になりました。
例えばDMSOでは、平均して約8分子が4 Å以内に存在していました。
一方、他の溶媒では3~5分子程度のものも多く、溶媒によってApixaban周辺の局所構造がかなり異なります。
さらに、相互作用エネルギーと4 Å以内の溶媒分子数との相関を調べると、
- MeOH:(r=-0.642)
- EtOH:(r=-0.906)
- DMSO:(r=-0.635)
- DMF:(r=-0.827)
- Acetone:(r=-0.880)
- CHCl₃:(r=-0.723)
となりました。
多くの系で、
Apixabanの近くに溶媒分子が多く存在する構造ほど、Apixaban–溶媒相互作用がより負になる
という傾向が見られました。
ただし、これは単純に「接触数が多いから相互作用が強い」とだけ解釈するのではなく、MD中の構造変化と相互作用エネルギーが連動している、と捉える必要があります。
9. 20 psではまだ平衡化していない溶媒もある
今回の解析で、もう一つ重要なことが分かりました。
すべての溶媒について、
「20 psの平均値を平衡状態の代表値として扱ってよい」
とは言えません。
特に、
- EtOH
- DMF
- Acetone
- CHCl₃
では、計算時間の後半に向かってApixaban周辺の溶媒配置が変化していました。
例えばEtOHでは、Apixabanの周囲4 Å以内に存在する溶媒分子数が時間とともに増加し、それに伴って相互作用エネルギーも強くなっていました。
つまり、
初期構造
↓
溶媒が再配置
↓
Apixaban周辺の溶媒構造が変化
↓
相互作用が強くなる
という過程が、20 psの計算時間内に残っていた可能性があります。
そのため、
今回の全201フレーム平均値を、そのまま「平衡状態の溶媒和エネルギー」と呼ぶのは適切ではありません。
むしろ今回のMDから、
「20 psではまだ溶媒環境が変化している系がある」
ということ自体が分かった、と考えています。
10. DMSOがかなり特徴的
今回の計算で特に目立ったのがDMSOでした。
DMSOでは、
[
\Delta E_{A-S}\approx-32.1\ {\rm kcal/mol}
]
と、他の溶媒よりかなり強い相互作用が得られています。
また、MD中でもApixabanの周囲にDMSO分子が非常に多く存在していました。
これは、ApixabanとDMSOの間に比較的強い相互作用が形成されている可能性を示しています。
ただし、
「だからDMSO中での溶解度が必ず最大になる」
とは、まだ結論できません。
溶解度を決めるには、ここにもう一つ、
Apixaban結晶から分子を引き抜くために必要なエネルギー
を考える必要があるからです。
11. 「溶媒との相互作用」と「溶解度」は別物
今回の計算を通して、改めて重要だと感じたのがここです。
例えば、
Apixaban結晶
│
│ 結晶中の相互作用を壊す
▼
Apixaban
│
│ 溶媒によって安定化
▼
Apixaban in solution
というプロセスを考える必要があります。
つまり、
[
\text{溶解しやすさ}
]
を理解するには、
[
\text{結晶から脱離するためのコスト}
]
と
[
\text{溶媒による安定化}
]
のバランスを見る必要があります。
今回計算したMDスナップショットの相互作用エネルギーは、そのうちの「溶媒による安定化」を理解するためのデータです。
12. これまで計算してきた「結晶側」とつながってくる
ここで、これまで進めてきたApixaban結晶の計算が意味を持ってきます。
以前は、Apixaban結晶中で、
Apixaban–Apixaban間の相互作用
を調べていました。
さらに、多体相互作用についても調べ、
E(A+\mathrm{shell})-E(A)-E(\mathrm{shell})
]
と、各二体相互作用の和との差を調べました。
つまり、結晶側については、
Apixabanが結晶中でどれくらい強く束縛されているのか?
という問題を調べています。
今回のMD計算では、溶媒側について、
溶媒中でApixabanがどの程度安定化されるのか?
を調べています。
この二つを組み合わせることで、ようやく、
なぜある溶媒ではApixabanが溶けやすく、別の溶媒では溶けにくいのか?
という本来の問題に近づいていきます。
13. 今回の結果をどう見るべきか
現時点での結果をまとめると、
| 項目 | 今回分かったこと |
|---|---|
| MD | 溶媒によってApixaban周囲の構造が大きく異なる |
| GIF | その構造変化を視覚的に確認できる |
| ESP | Apixabanの静電的な特徴と溶媒配置を確認できる |
| 相互作用エネルギー | DMSOが特に強い |
| 水 | Apixabanとの相互作用は存在する |
| 局所構造 | 近接溶媒分子数と相互作用エネルギーに相関が見られる |
| 平衡化 | 一部の溶媒では20 psでも構造変化が続いている |
| 溶解度 | 相互作用エネルギーだけでは決められない |
つまり今回の計算結果は、
「溶解度ランキング」ではありません。
あくまで、
「Apixabanが各溶媒とどのような相互作用を形成するのか」
を調べた結果です。
14. 次にやりたいこと
ここから先が、今回の研究の本題になってきます。
① MDの平衡化領域をきちんと評価する
20 psの全期間を単純平均するのではなく、
- 溶媒分子数
- Apixaban–溶媒距離
- 相互作用エネルギー
- 構造指標
などの時間変化を確認して、どこからが比較可能な領域なのかを検討します。
② より高精度な計算でスナップショットを評価する
現在のXTB2による計算を基準にして、選択したスナップショットについてr²SCAN-3cなどでも評価し、
XTB2と高精度計算の相関
を調べたいと考えています。
③ 結晶側の計算と組み合わせる
今回の溶媒との相互作用だけではなく、これまで計算してきたApixaban結晶の相互作用エネルギーや多体効果と組み合わせます。
最終的には、
[
\boxed{
\text{Crystal lattice stabilization}
+
\text{Solvation stabilization}
+
\text{Entropy/free-energy effects}
}
]
という視点からApixabanの溶解性を考えていきたいと思っています。
おわりに
今回、8種類の溶媒についてMDを行い、201フレームずつのスナップショットからApixaban–溶媒相互作用エネルギーを計算しました。
さらに、MD最終構造についてESPマップを作成し、
MDによる分子の動き
ESPによる電子状態
相互作用エネルギーによる数値評価
という3つの視点から、Apixabanと溶媒の関係を見てみました。
今回の計算では、DMSOで特に強い相互作用が観測されました。
一方で、MDを実際に動画として確認すると、溶媒分子が単純に「周囲にいる」だけではなく、時間とともに再配置されていく様子も見えてきました。
そしてESPマップを見ることで、その溶媒分子がApixabanのどの部分に近づいているのかを、電子的な特徴と合わせて考えることができます。
計算化学では、最終的なエネルギーの数字だけを見ると見落としてしまうものがあります。
「分子がどう動いたのか」
「どこに溶媒が集まったのか」
「どの部分に近づいたのか」
「なぜその配置になったのか」
を順番に見ていくことで、数値の意味が少しずつ見えてきます。
そして最終的に知りたいのは、
「なぜApixabanは水とは相互作用するのに、水には溶けにくいのか?」
という問題です。
その答えを探すために、次は「溶媒側」だけではなく、Apixaban結晶側とのエネルギーバランスまで含めて考えていきたいと思います。













